私教育新聞(2022年5月号)に、株式会社SRJ 執行役員 秋山和沙氏と式会社ジェイシー教育研究所の堀洋一氏による教育対談が掲載されました。
これまでの「いい大学を出ていい会社へ就職すれば安泰」という考えが通用しなくなっている、世界情勢が次々と変わる先行きの見えない時代。未来の子どもたちに必要な学びについてお話しいただいた。
時代は変わる。そのとき「普遍的な価値ある学び」を子どもたちへ
- 堀
- 本日はよろしくお願いします。株式会社SRJ様では先進的な教育プログラム開発に力を入れられていますよね。その背景にはどのような想いがあるのでしょうか。
- 秋山
- 創業から25年経ちますが、私たちの理念は一貫して「社会で活躍できる人づくり」にあります。「社会で活躍できる人」の定義は時代により変わりますが、どんな時代にも応用可能な人間力を、未来を生きる子どもたちに身につけてほしいという思いで、次世代教育の普及に取り組んでいます。かつては「いい大学に行けばいい会社に入れて、定年までその会社にいられる」とゴールが見えており、塾も学校もレールに乗ることを目指していましたが、その前提が変わってしまったのが現在だと感じます。
- 堀
- 私自身、これだけ世の中が多様に変わったのは、日本において戦後初だと感じます。高度経済成長期、バブル崩壊でも変わらなかったのに対し、明らかにここ10年でさまざまな変化が起きていますよね。特に今、コロナ禍になり戦争が始まるなど、グローバルな規模で社会が変わりつつあります。
- 秋山
- グローバルな規模で世の中が変わっている今、自分が子どもの時代に受けてきた教育やかつての価値観を子どもに教えるのは違うと、大人も分かっているはず。しかし教育現場は、いまだに「勉強を教えるためだけのもの」になってしまっています。もちろん学力も大事ですが、時代の先行きが見えず不安であるが故に、自分が受けた教育をそのままおこなってしまい、過去の再生産をしようとしてしまう。そこには、選択できる教育メソッドに限りがあることも理由としてあるのではないでしょうか。
- 堀
- 株式会社SRJ様には、小学校高学年から高校生までの幅広い子どもたちを対象に、仲間との議論の中で正解のない問いについて考える探究学習型の「FUTURE」というアクティブラーニング教材がありますね。
- 秋山
- 「FUTURE」では、目まぐるしく変化する社会において正解は必ずしもひとつではないという考えのもと、「これからを生きる子どもたちが自ら考え、自分自身の最適解を導く」ための教材として新たに誕生させたものです。例えば「自分を漢字1字で表すと?」や「政策を掲げて知事を目指そう」などの課題があります。いずれも、正解のない問いで、答えを導くためには周囲の人の意見を聞き、調べ、自分の意見をまとめることが必要です。その回答を導くための道筋にこそ、学ぶべきものがあると私たちは考えています。これは御社のサービスである「サス学」の目指すこととも近いのではないでしょうか。
- 堀
- そうですね。「サス学」は子どもたちが未来を生き抜く力を育むことを目的としています。私たちは、教科の学習は一人でもできると考えており、「サス学」を通じて「多様な価値観」や「生み出す力」、「やりとりする力」や「伝える力」を育みたいという想いがあります。それこそが、限られた時間、複数の生徒が集まっているときにしかできない学びだと感じています。
「今まで通り」が通用しない。学習要領の改変で進む塾の二極化
- 堀
- 塾の現場に立っていた時、読解力や思考力などの「知識重視の受験勉強だけでは会得できない能力」が、全ての学びに直結すると考えていました。その後、本社に移って教材制作を手がけるようになったのですが、その中で「やはり教材も、受験に直結するかどうかではなく、学びに対する姿勢を身に着けるところからスタートすべきなのでは」と思うようになったんです。特に小学生は、目の前にあるものに興味を持てるかが重要。それが先立てば、興味関心から広がって自ずと勉強するようになるものなのでは、と感じていました。現在は自らもサス学講師として子どもたちと接していますが、やはりその推論は正しかったと実感しています。
- 秋山
- 塾の現場から昨今、「提出物を出し、テストでいい点をとっているのに、学校の通知表で5が取れなくなった」という声が届きます。よくよく聞くと、「提出物に自分の考えをまとめられているか」「振り返りができているか」が重要視されているんです。学校教育の現場では、文部科学省が定めた「学校教育において重視すべき三要素(思考力・判断力・表現力)」がすでに反映されており、先が見据えられている。そんな中、定期テスト対策だけを行う塾だと「今まで通りやっているのになぜ?」と感じるのは当然かもしれません。一方、考えを切り替えて新しい学びをスタートさせている塾も出てきており、二極化を感じますね。
教育ではなく「共」に育つ「共育」を。指導者のあるべき姿
- 堀
- 時代や教育のあり方が変わってきている中、置き去りにできない問題として「先生が変わること」もあると感じます。
- 秋山
- そうですね。まだまだ現場では答えのないものに取り組むことに、大人ができていないと感じます。
- 堀
- 弊社では「サス学」の導入をご検討いただいている塾等の先生は先生になろうとするのではなく、ファシリテーターの立ち位置を目指していただきたいとよくお伝えしています。教育とは「教え育てる」と書きますが、これからは大人も「共に学ぶ」、共育が必要なのではと感じます。
- 秋山
- 先生は子どもの伴走者であり、支援者。社会で活躍するために何が必要かを共に考え学ぶ姿勢こそが今後は必要になると感じます。
- 堀
- 私自身、「サス学」の学びの場に立ちファシリテーターを務めるのですが、印象深いのは子どもたちが水を得た魚のように好き好きに発言し始めることです。普段子どもたちの様子を見ている先生方が「○○ちゃんがこんなに発言するのを初めて見た」と驚くほどです。
- 秋山
- 「他人の目を気にせず思ったことを自由に発言できる場」が、日本の教育現場にはまだまだないんでしょうね。弊社でも「FUTURE」受講のオンラインイベントを実施した際、zoomチャットで子ども同士がすごいスピードで対話しているのを目の当たりにしました。自分で学び、考え、発言できる場が今後増えると、子どもたちにとってより良い学びになると思います。
- 堀
- 学校は国の政策がダイレクトに降りてくる場。そのため、革新的な取り組みをしようと思っても限界があります。一方の私教育、特に塾は、それができる唯一の立場です。古くから塾は世の中を睨み、これから先、子どもたちに何が必要かを考えてきた存在で、それはいつの時代も教育の最前線であったはず。私たちが目指すべきは、目の前の問題に柔軟に対応できる、レジリエンスの高い人を育てることにあると感じます。私教育が、学校教育の後追いではなく導く立場になることで、この国の未来を、子どもたちが変えていってくれるんではないでしょうか。